Avaloncity Green Park

不肖「信頼出来ない語り手」明智紫苑のオリジナル小説ブログです。当ブログではライフワーク『Avaloncity Stories』第二部の作品を載せていきます。

『ファウストの聖杯』8.思い出はただ飲み干すのみ

 アヴァロンシティは24時間眠らない街だ。植民惑星アヴァロン最大の不夜城は、美徳と悪徳が交差する。
 かつての地球の栄華を再現させたかのような繁栄を満喫する者たちは多いが、反面、それからこぼれ落ちた者たちが暗い「何か」に引き寄せられる。アンダーグラウンドでうごめく売人や娼婦/男娼やチンピラ連中だけではない。もっと厄介な奴らがいる。
 メインストリートから離れた裏通り。人狼のように身体改造をしたバイカーファッションの男が、頭に猫耳を着けたピンクの髪の女を連れている。女はどうやら、民間企業製のバールの娼婦のようだ。男はレザーパンツの尻に開けられた穴から狼の尻尾を出して振っている。女は蛍光色でボディコンシャスのミニワンピースを着て、真っ赤なピンヒールを履いている。そのスカートの裾からはピンクの猫の尻尾がちらついている。
 そのカップルを襲撃した奴らがいる。カルト教団〈ジ・オ〉のマークの入ったものを身に着けている男たちだ。人狼男は見掛け倒しで、半ば無抵抗同然に暴行を受けた。
 女は手のひらから光の玉を出して応戦しようとしたが、間に合わずに一方的に容赦なく暴力を振るわれた。民間企業製のバールたちは、アガルタ生まれの「官製バール」ほど強い超能力者は多くない。それに、この女には警察や軍隊に入るような官製バールたちほどの体力はない。

 翌朝、二人の「人外」の無残な遺体が転がっていた。

「あれから十年も経つのか」
 高架橋のたもとに、誰かが供えた花束がある。十年前、このモノレールの路線で爆発事故があり、多数の死傷者が出た。
 ヴィクター・チャオ(Victor Irving "Vic" Chao)は思い出す。兄フォースタスの初恋相手だった女の子は、あの事故で亡くなった。
「フォースタス、部屋に閉じこもって泣いていたな」
 ヴィクターは、友人ブライアン・ヴィスコンティ(Bryan Luke Visconti)に話しかけた。
「ああ、ヘレナだっけ? あの女の子」
「そうそう、ヘレナ・ウォーターズ(Helena Sara Waters)」
 二人は現場を立ち去り、ブラブラ歩きながらしゃべっていた。
「あの事故、いまだに爆破テロの疑いがあるんだよな」
「うわ~、俺、そういう陰謀論って嫌いだわ~」
「あの〈ジ・オ〉だか〈神の塔〉だかの仕業だってさ。容疑者らしき奴がいて、そいつは自殺して迷宮入りになっちまったんだけど、本当は口封じに誰かに殺されたんじゃないかな?」
「なるほど、あの連中ならそれぐらいの事はやりかねないな。昨日もどっかで人が殺されていただろ? カップルのどちらかがバールだって」
 二人は、アヴァロン大学経済学部の学生であり、幼なじみ同士である。そして、アルバイト先の同僚同士でもある。彼らは、仕事帰りに居酒屋に立ち寄った。
「なぁ、ヴィック。お前、似てると思わないか? あの子」
「あの子?」
アスターティ。ちょうど同い年だし、あのプラチナブロンドの髪と空色の目、ヘレナに似ているだろう?」
 ヴィクターはハッとした。ヴィスコンティ家で養われている「天才美少女」アスターティ・フォーチュン。言われてみれば、確かに兄フォースタスの初恋相手に似ている。
 しかし、当のフォースタスは彼女を避けている。果たして、兄は彼女が自分の初恋相手に似てきたのに気づいているだろうか?
「よっ、久しぶり!」
「わっ!?」
 突然、二人に呼びかけた女がいる。年齢は20代半ば、赤みがかったブロンドの髪の女だ。
「リジー!? あんた、何でこんなところにいるんだよ?」
「いて悪い?」
 リジー…エリザベス・バーデン(Elizabeth Sara "Lizzie" Burden)。フォースタス・チャオの大学時代の恋人だった女であり、当然、フォースタスの弟ヴィクターとも顔なじみである。
「まあ、いいわ。今日は気分がいいし、何かおごってあげる」
「え!?」
 リジーは、ある出版社の社員である。文芸誌の編集者であり、様々な作家との交流がある。

「あの子がいるからには、私は引き下がるしかなかったのよね。だから、ワザとフォースタスに冷たく当たって、別れを切り出すように仕向けたのよ」
「ごめん、リジー
「あんたが謝る必要はないのよ、ヴィック。あの人に 許嫁 いいなずけ がいるなら、仕方ないよね」
 リジーは、ノンアルコールカクテルをあおった。彼女はグラスを持っていない方の手で自らの腹をさすっている。

『ファウストの聖杯』7.甘い蜜の美神

「戦の女神が 生娘 きむすめ だなんて大嘘だ」
 久秀は言う。多分、アガルタのフォースタス・マツナガ博士も同じ事を言うだろう。

 俺は今、『ファウストの聖杯』を書いている。右往左往しながら、俺は物語をつづる。引き受けてくれる出版社のアテもないまま、俺はコツコツと書いていく。まるで、テニスンのシャロットの女が機を織るように。
 この小説の久秀は言う。いわゆる「名将」とは、戦の女神と寝た男たちなのだ。男たちは、女神の満足の代償として、軍才を授けられる。だからこそ、バビロニアの太女神イシュタルは「血染めの衣に身を包んだ大淫婦」だったのだ。そして、北欧神話 戦乙女 ヴァルキリー たちもまた、武装した娼婦たちだった。
 なるほど、元々庶民出身だった「国士無双韓信もまた、戦の女神の「情夫」だったのだろう。戦の天才は、忘れた頃にやって来る。
 おそらく、芸術の女神ミューズたちも同じように、自分が寵愛した男たちに霊感を与えるのだ。それも、いわゆる衆道にはないだろう魅力と魔力。中国・春秋時代の魔性の美女・ 夏姫 かき と交わるかのような、異性愛の「深淵」。今の俺とライラの関係のような、甘い地獄。
 しかし…俺にとってのライラは「ミューズ」なのだろうか?
「甘い毒か…」
 俺はあれ以来、彼女とベッドを共にしては、絵のモデルとして自らの裸体をさらす。ライラにとっては、俺が事を済ませてからの様子が「エロティック」らしい。

「果心。千年以上も生きている古狐なのに、お前はまるで子狐だな」
 久秀は、古くからの友人をからかう。この小説の彼は、仙人の果心居士と一人の美女をめぐって奇妙な三角関係になる。
「お前は煮え切らない半熟卵だ。だが、美味だ」
 俺の小説の果心居士は、30歳前後の若さを保っている。果心は、前漢の高祖劉邦に仕えていた 淮陰 わいいん 韓信の一人息子だったが、父親が謀反の疑いで殺されてから、父の愛妾と共に山に逃げ込んだ。成長した彼は、かつて父を陥れた説客・ 蒯通 かい とう を見つけて脅し、押しかけ弟子となった。
 そして、漢の皇族の一人を唆して謀反を起こさせたが、事破れて、彼は父・韓信に裏切られた 鍾離眜 しょうり ばつ の息子に追い詰められ、淮水に浮かべた小舟で焼身自殺を図った。
 そんな彼は「炎の魔神」として蘇った。
 不老不死を得た果心は唐の時代に日本に渡り、様々な英雄たちと出会った。そんな彼の一番の友こそが、俺が執筆中の小説『ファウストの聖杯』の主人公、松永久秀なのだ。
 そして、久秀のモデルがアガルタのフォースタス・マツナガ博士ならば、果心のモデルは俺自身だ。この小説の果心は、俺の人間的な弱さを投影しているキャラクターだ。
 果心は、この小説のもう一人の主人公だ。

「腹減ったな」
 俺はテーブルに置いてあるリンゴをつかみ、かぶりつく。かじった跡を見ると、芯の周りには蜜が入っている。
 リンゴの芯の周りに含む蜜。そんなリンゴを食べた時には、何となく得をしたような気分になる。
「ビッグ・アップル」。それは本来は地球のニューヨーク市の愛称だった。かつての「世界の首都」。それを再現させたかのような大都市こそが、アヴァロン連邦の首都アヴァロンシティだ。
 アヴァロンシティは惑星アヴァロンの北半球にあるアヴァロン諸島で最大の島、アヴァロン島南部にある港湾都市だ。アヴァロン島は地球の北海道とほぼ同規模の面積であり、この島で人口も面積も最大なのがこの街だ。内陸部には政府の研究機関〈アガルタ〉のあるアガルタ特別区があり、さらに、その奥にはリゾート地キャムラン湖がある。
「ビッグ・アップルでビッグ・アップルを食う」
 俺にとってライラは禁断の果実だ。ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティは眠るランスロットを描いたが、ライラは夢の中でも俺を誘惑する。ランスロットも俺も、禁断の果実を食べた男だ。吐き出す事なんて出来ない。消化されて、自らの一部になる。そう、罪が自らと同化するのだ。
 ランスロットといえばグィネヴィア。しかし、ランスロットを愛する女は他にいる。そう、ゲーテファウスト博士にとってのグレートヒェンのような女が。

『ファウストの聖杯』6.Mordred

双剣の騎士、ベイリン」
 マーク…マーカス・ユエ(Marcus Alexis "Marc" Yue)はゲームセンターにいた。彼は格闘ゲームで遊んでいる。連れはいない。彼は時々、学校帰りに一人でこのゲームセンターに立ち寄る。
 軍隊や警察官の訓練にも使われる技術の応用。彼は個室に入り、体を動かした。このカプセル内でのプレイヤーの動きが、ゲームのキャラクターに反映される。
「チクショウ! こいつめ!」
 マークは、両端が丸く成形された棒状のコントローラーを振りかざした。それも、二刀流だ。
 この時代においては、このようなヴァーチャルリアリティ技術は古典的なものである。しかし、この手の疑似体験ゲームは今でも根強い人気があった。
 このゲームは様々なシチュエーションを選べるが、彼が選んだのはアーサー王伝説をイメージした異世界だった。
「フン、雑魚どもめ」
 騎士ベイリンに扮したマークは、次々と襲いかかる敵どもをなぎ倒す。彼はカプセルの中で飛んだり跳ねたりしている。
 あたかも、自らの鬱屈をしばき倒すように。
「あいつ、絶対に怪しい」
 父の古くからの知人で教え子。そして、母の絵のモデルとして雇われている男。新進気鋭の小説家。
 フォースタス・チャオ。
 マークは、自分より十歳年上のこの男が気に入らなかった。
 いわば、疑似カイン・コンプレックスだろう。
 確かにマーク自身も、幼い頃からフォースタスと顔見知りだ。しかし、彼は早い時期からこの若い男に対して嫉妬していた。フォースタスは彼に対して親しく話しかけようとしていたが、マークはサッサと自室に閉じこもった。
 どうやら、マークの父アーサーはフォースタスに対して、マークの兄代わりの役目を期待していたようだが、マーク自身は自分が一人っ子である事に満足していた。なぜなら、彼は自らの嫉妬深さを自覚していたからだ。
「雑魚どもが!」
 彼は、貧乏大家族の息子であるクラスメイトを見下していた。しかも、ただ単に貧乏人の子だからではない。そのクラスメイトの両親が、あるカルト集団の下っ端信者だという噂があるのだ。問題の少年は、他のクラスメイトたちに対して礼儀正しく優しく振る舞っていたが、マークの目には、それが単なる媚びにしか見えなかった。事実、問題の少年の陰口を言う連中は少なからずいる。
 それに対して、彼自身は自らの一人っ子暮らしに心から満足していた。友達だっていない。余計な兄弟姉妹や友人たちごときと比較されて、肩身の狭い思いをするのは真っ平だ。家の中の「王子」は、自分一人で十分だ。
 それに、地球史の授業で嫌というほど知っている。一体どれだけ骨肉の争いが繰り返されたのか?
「ケッ、クソッタレが」
 彼はコントローラーを所定の場所に戻し、カプセルを出た。

 そんな彼を目で追う男がいた。ダークグレーのスーツに身を包んだ彼は黒人のいかつい大男で、ゲームセンターに隣接するカフェから出てきたところだ。
「あの子、時々来るけど、友達を連れて来た事はないな」
 男は携帯端末を取り出し、検索する。
「作家アーサー・ユエと画家ライラ・ハッチェンスの一人息子か…。なるほど、アスターティのクラスメイトか」
 彼はマークが出ていった玄関を出て、携帯電話で何者かと話す。
「おお、ヤン。さっき、アーサー・ユエの息子を見かけたのだけど…」
 彼は今まで何度となくマークの様子を観察していた。

《我ら、〈地球人〉は本来あるべき秩序を取り戻し…》
 街宣車アジテーションをがなり立てる。カルト教団〈ジ・オ〉の政治部門〈神の塔〉の街宣車だ。
「ふん、うるせぇ奴らだな」
 マークは鼻を鳴らす。彼は内心、相手に対して中指を立てている。
「何が『秩序』だ」
 彼は大人たちを軽蔑しているが、その理由の一つに「秩序」があった。
「どうせ奴らはてめぇにとって都合の良いガキばかりを求めてるんだろ」
 子供好きの大人はたいてい、自分のような子供が嫌いだった。マーク自身も、あざとく子供好きをアピールする大人が嫌いだった。大っぴらに若者を軽蔑する大人もムカつくが、逆に若者に迎合する大人も目障りだ。
 身体改造をしているアウトサイダーたちが街宣車に罵詈雑言を浴びせ、舌を出して中指を立てている。マークはあのアウトサイダーたちにはさほど嫌悪感は覚えない。
「あいつら、かっこいいとまではいかないけど、かっこいいんだな」
 マークは「人外」アウトサイダーたちに対してシンパシーがあった。自分もあのように逸脱したい。しかし、学校の校則ではあのような身体改造は禁止されている。
「規則なんてクソ喰らえだぜ」
 マークは家に戻り、自室に引きこもる。殺風景な部屋には、これといった書物はないが、彼は読書家自慢をする連中を軽蔑していた。
 軽蔑。そう、それこそが彼の生き甲斐ですらあった。しかし、それ以上に彼は「怨念」を持て余している。
「あの野郎、許せねぇ」
 マークは壁を蹴飛ばす。しかし、衝撃に強い素材はやんわりと彼のキックを受け流す。

『ファウストの聖杯』5.罪を満たす杯

「チクショウ…!」
 俺は馬鹿だ。大馬鹿野郎だ。自分の両親と同じくらいに尊敬している恩師の妻である人と道ならぬ関係になってしまったのだ。
 ライラは、実に蠱惑的な女だ。俺はまるで、女に対する免疫のない 童貞 チェリー のように、彼女の美と性に身も心も撃ち抜かれた。
「かわいいフォースタス。私も溺れるわ」
 彼女を含めて、俺には「恋人」と呼べる女が六人いた。そのうち、初恋相手の女の子とは、キスさえもしていない清い関係だった。何しろ、まだ中学生だったのだ。プラチナブロンドの髪に空色の眼の美少女だった彼女は、名前をヘレナといったが、彼女は不慮の事故…十年前のモノレール爆破事故で亡くなった。
 二番目の恋人は、高校の演劇部の先輩だった。俺が作家活動の傍ら、友人の劇団に参加しているのは、この部活動で芝居の面白さに目覚めたからだ。そして、問題の先輩こそが俺の初めての「女」だったが、飽きっぽい彼女はサッサと俺を捨てて、他の男に乗り換えた。
 他の歴代恋人については、今さら振り返るのもバカバカしい。
 ライラ。俺の「ファム・ファタール」。

 俺は、タブレット端末に向かった。
ファウストの聖杯』、それが俺の執筆中の小説のタイトルだ。
 これは、主人公の松永久秀が所有していた茶釜「平蜘蛛」を意味する。そして、久秀は敵の降伏勧告を拒み、この茶釜を抱えて爆死した。あたかも、ゲーテファウスト博士のモデルになった人物のように。
 なるほど、あのマツナガ博士のフルネームは、いかにも「出来過ぎ」だ。
「あの人は食えない人だけど、史実の久秀もあんなんだったのだろうな」
 聖杯とは、アーサー王伝説のキーアイテムの一つである。そして、アーサー王伝説ファウスト伝説は、互いに補完関係にある。「王侯将相いずくんぞ種あらんや」という言葉があるが、アーサー王は言うまでもなく「王侯」であり、ファウスト博士は「将相」の候補者なのだ。そして、中国史春秋時代と戦国時代とでは、アーサー王伝説ゲーテの『ファウスト』ほどのムードの違いがある。
 だから当然、ユエ先生と俺のファーストネームの組み合わせも皮肉なものだ。それに、俺の幼なじみで一番の親友である奴の名前は「ランスロット」だけど、そのランスではなく俺が「ランスロット」になってしまうのは実にややこしい事態だ。
 もしランスの奴が一人前の弁護士になったら、俺が何か不祥事を起こした場合に弁護してくれるだろうか? まあ、筋を通すあいつの事だ。明らかに俺に非があるならば、まずは依頼を引き受けないだろうな。
 ましてや、今の俺の過ちならば、なおさら。
「そういえば、しばらくランスに会っていないな」
 ランス…ランスロットファルケンバーグ(Lancelot Alastor "Lance" Falkenburg)は七人兄弟の長男で、アヴァロン大学の法科大学院に通う苦学生だ。そして、すぐ下の弟ロビン(Robin Jay Falkenburg)はプロボクサーとしてデビューしたばかりだ。父親は大学講師だが、母親は居酒屋を経営している。ランスとロビンはハングリー精神の塊だ。特にランスは一見冷徹そうに見えるが、実は熱い男だ。

 外には犬の散歩をしている老婦人がいる。その老婦人は、どことなくベテラン司会者の「マダム・コンピー(Madame Compee)」ことグロリアーナ・デ・コンポステーラ(Gloriana de Compostela)に似ている。ファッションセンスもどことなくマダム・コンピーを彷彿とさせるし、犬もまた派手な服を着せられている。しかし、あの犬が必ずしも天然の犬だとは限らない。なぜなら、人間の言葉を話すロボット犬などの「人造ペット」たちはありふれているからだ。あの犬はそれらしく、ショッキングピンクの毛皮を身に着けている。見るからに悪趣味だ。
 そんな悪趣味なペットを連れている人間は、自らの体に動物の耳や毛皮や鱗や尻尾などを移植しているアウトサイダーが多い。乳房や性器を複数移植している奴らもいる。
 俺は、部屋の片隅に置いてあるギターケースに目を向けた。高校時代にちょっとかじったけど、部活動は軽音楽部ではなく演劇部だった。バンドを組んでいた友達から、ヴォーカリスト兼ギタリストとして誘われた事があったけど、俺は断った。
 試しに弾いてみようか? いや、俺のギターの腕前はかなり錆び付いているだろう。そもそも、弾く機会自体ない。歌は、たまに友達とカラオケ屋で歌うくらいだ。
 まだ夜ではない。しかし、今の俺の精神状態からして、今夜もまともに眠れそうにないだろう。

『ファウストの聖杯』4.5月の風

「いい風だ」
 のどかな春の陽気。気分が良い。授業を終えた学生たちがあちこちにたむろしている。
 シャホウ・レイ(夏侯雷、Xiahou Lei/Ivan Lei Xiahou)は、アヴァロン大学医学部の構内をうろついていた。彼自身がここの学生なのだから、それ自体はおかしくない。問題は、彼自身の出自だった。
 彼は、マフィア〈聖杯幇(せいはいほう/シェンペイパン、Sheng-Bei-Bang/Sheng-Pei-Pang)〉の御曹司なのだ。そんな彼がこの大学にいるのは、色々とややこしい。しかし、彼自身は自分の実力で入学試験に合格した。
 家柄はさておき、彼は身長190cmという長身が目立っていた。それに、鋭角的な顔立ちがさらに凄みを感じさせる。
 彼ににらまれた人間は、ビビってチビってもおかしくない。それぐらい、鋭い眼光だった。
「かつての日本には『五月病』なんてのがあったらしいな… 孟嘗君 もうしょうくん と関係あるのかな? まあ、現実的に考えるなら、環境への適応などの問題だろうな」
 5月上旬の爽やかな風がキャンパスを通り過ぎる。レイは、手で口を押さえずに大あくびをした。

〈聖杯幇〉の企業舎弟の一つにリリス・グレイル(Lilith Grail)社があるが、この会社こそが、バールたちを生み出す民間企業の一つである。
 アガルタの「官製バール」が普通の人間とほとんど変わらない外見なのに対して、リリス・グレイル社製バールは、良くも悪くもバラエティ豊かな姿形の者たちが多い。例えば、かつての地球で流行したファンタジーフィクションに登場する 妖精 エルフ のような尖った耳を持っていたり、天然の人間にはあり得ない髪色や目の色の者たちもいる。さらには、整形手術などによって猫耳や尻尾や毛皮の皮膚を身につけた「猫女」などの異形のバールたちもいる。いずれも、アンダーグラウンドの世界で取り引きされる「商品」だ。
 中には、顧客を飽きさせないように、人為的に多重人格者に設定されたバールたちもいる。彼らは、主人の好み次第でしばしば「モード」を切り替えられる。そして、それに合わせた装いと振る舞いで主人を楽しませるのだ。
「我が社自慢の、最高級のリアルラブドール。かつての地球の高級スポーツカーと同じく、客を選ぶ商品だよ」
 レイは、この「仕事」のために医師免許を得るつもりだった。少しでも「家業」についての知識や技術を身につける必要があるからだ。

 アガルタには、多くの科学者や技術者たちがいるが、医師・歯科医師・獣医師たちも多く在籍している。そして、フォースタス・チャオの母ミサト・カグラザカ・チャオ博士もアガルタの研究者の一人だ。
「フォースタスか…」
 レイとフォースタス・チャオは、中学時代に同じクラスにいた。その頃、大事故があった。
 当時の十大ニュースに入るほどの大事故。かなりの犠牲者を出したが、あまりにも謎が多い。それだけに、メディア上では様々な憶測があった。
 あの事故の犠牲者の中には、当時のクラスメイトもいた。昔の事故について思い出しているうちに、一人の男が来た。彼は、別の学部の学生だ。
「若旦那、お待たせしました」
 ホレイショ・ハーパー・トラン(Horatio Harper Tran)…アヴァロン大学法学部の学生、21歳。〈聖杯幇〉幹部の息子であり、シャホウ・レイの舎弟である。しかし、この青年はマフィアの一員の息子とは思えないくらい、温和そうな人当たりであり、彼の出自を知らない者はまずは彼がマフィアの関係者だとは想像がつかない。
「おう、帰るか。しかし、今日はせっかくだから寄り道しないか?」
「そうですね。僕、おいしいお好み焼き屋を知ってますけど、どうでしょう?」
「おう、そこに行こう」
 レイとホレイショは大学構内を出た。すると、やかまし街宣車が通り過ぎる。
「何だ、あのうるさいのは?」
「ああ、〈神の塔〉ですね」
「〈神の塔〉って、あの〈ジ・オ〉の政治部門の泡沫政党か?」
 レイはあからさまにうんざりした表情を見せる。ホレイショも愉快ではない。
「色々な意味で商売敵か…うっとうしいな」
 二人は繁華街を目指した。

『ファウストの聖杯』3.妖しい香り

 昼下がりのアヴァロンシティ。春真っ盛りの「世界の首都」は、常に活気ある輝きを放つ。この現代の「ビッグ・アップル」は巨大なおもちゃ箱だ。俺たちアヴァロン市民は、このおもちゃ箱の中で生きている。
 俺たち人間はおもちゃの遊び手か、それともおもちゃそのものだろうか? 運命の女神は常に気まぐれだ。
「さて、何とか約束通りの時間に間に合うかな?」
 一般車両の走る道路には何台かのエアカーも混じっているが、俺の車は直接タイヤで走る。幸い、道路はそんなに混雑していない。
 現代の「ワンダーランド」アガルタを出た俺は車を飛ばし、ライラの待つ家に向かった。ラジオからはモデル出身の歌姫ロクシー(Roxy)…ロクサーヌ・ゴールド・ダイアモンド(Roxanne Gold Diamond)の曲が流れる。「モデル上がり」の歌手や役者は過小評価される事が多いが、ロクシーは別に下手な歌手ではない。ただし、他人が影武者として歌っているのではない限りは。
 俺の雇い主ライラ・ハッチェンス(Lailah Bella Hutchence)。俺の恩師アーサー・ユエ(Arthur Nathaniel "Art" Yue)先生の妻であり、画家である人。つまり、彼女も「伝統文化」の継承者だ。しかも、油絵という古典的なメディアだ。

「こんにちは。いつも約束より絶妙に早めに来てくれるわね。アートも言ってたわ。『あいつは生真面目さがかわいらしい』ってね」
「え、先生、そんな事言ってたんですか?」
「ええ、あなたはあの人の教え子の中でも特別ね。名前が名前だけに、何だかアーサー王ランスロット卿みたい」
ランスロット…ですか。俺の友達にもランスロットという名前の奴がいるんですけどね」
 ライラは笑う。
 俺は彼女の絵のモデルになっている。しかも、ヌードモデルだ。
 ライラは俺の体格をほめてくれる。確かに俺はそこそこ身体を鍛えているし、筋肉の付き方だって悪くはないと思う。ユエ先生も、俺がライラの絵のモデルになるのを認めてくれた。
 あくまでも、副業。今の俺は、まだまだ文筆業だけでは食べてはいけない。時々、こうしてアルバイトをしている。テレビのバラエティ番組でコメンテーターとして出演するのも含めて、俺は「作家」というよりも「何でも屋」だった。
 俺とユエ先生の付き合いは、俺が生まれてから…いや、生まれる前からだった。俺の両親がユエ先生と親しかったからだが、俺がアヴァロン大学の文学部中国文学科に進学したのは、ユエ先生の教え子になるためだった。
 ユエ先生は大学教授時代からすでに大物作家でもあったが、俺が大学を卒業してから、先生も大学を退官した。
 実はユエ先生は、少年時代に子役俳優の仕事をしていたが、中学校進学を機に芸能界を引退した。俺は昔のユエ先生が出演していた映画をいくつか観た事があるが、まさしく天才子役だった。しかし、もし先生が芸能界を引退しなければ、俺は先生の教え子にはなれなかったのだ。
 多分、先生は芸能界の世知辛さを思い知らされて引退したのだろう。往年の子役スターが身を持ち崩してスキャンダルまみれになるのは、地球の昔から変わらない。

「このハーブティーはリラックス効果があるのよ。このマカロンも甘さ控えめでおいしいわ」
 俺は下戸で甘党なので、彼女の心遣いが嬉しかった。薔薇の香りのマカロン。口の中に妖しい香りが満ちる。
 ライラ。彼女は今45歳だが、少なくとも実年齢より十歳は若く見える。艶やかな黒髪をボブカットにし、紫の眼は妖しく輝く。 宿命の女 ファム・ファタール だなんて言葉すら思い浮かぶほどの、凄みのある美女だ。とても、中学生の息子がいる中年女性とは思えない。
 この人は美しい。不吉なくらいに。理性が吹っ飛びそうで息が詰まる。だいぶ前から感じていた、甘い罪悪感。
 ええい、何を考えているんだ、俺は。この人は我が恩師の奥さんだし、俺はあくまでも仕事としてこの人に雇われた絵のモデルだ。しかし、ドキドキは止まらない。
 何しろこのアトリエは、彼女の寝室でもある。俺は、彼女のベッドの上に素っ裸であぐらをかいている。いかにも危ういシチュエーションではないか? ライラはそんな俺を怪訝そうな目で見つめる。
「あなた、まだ何かが足りないわね」
 ライラは言う。何が足りないって? 俺の戸惑いをそっちのけに、彼女は俺に近づき、そっと俺の頬に触れた。妖しい微笑み。ライラは俺の耳に口を寄せ、そっとささやく。
 耳の穴に、甘く熱い蜜が注ぎ込まれる。
「燃えるような官能よ」
 俺の視界は、炎のように真っ赤に染まった。

『ファウストの聖杯』2.楽園の女神

20181123131630

「やっぱり桜ってきれいね」
 彼女は携帯電話を取り出し、カメラのシャッターを切った。
 辺り一面、淡いピンクの洪水。プラチナブロンドの髪と空色の目、透き通るような艶やかな白い肌の美少女は、無我夢中で桜並木の写真を撮る。ひとしきり撮り終えたら、カメラ機能付きの携帯電話をバッグにしまい、自動販売機でミルクティーを買った。そして、ベンチに座ってミルクティーを飲み、容器をゴミ箱に入れ、バッグから一冊の本を取り出した。
 アヴァロン連邦歴345年、4月。この 惑星 ほし で桜吹雪のこの時期が入学式シーズンになったのは、かつての日本のしきたりにならったものらしい。
 アスターティ・フォーチュンは、この春に中学3年生になった。そして、今年の7月に15歳の誕生日を迎える。
 アガルタの人工子宮〈アシェラ(Asherah)〉から生まれた彼女は、6歳になってからアガルタを出て、人間界で生きてきた。彼女は今、ヴィスコンティ家の里子として暮らしている。
 この家の女主人ミヨン・ヴィスコンティ(Miyoung Moon Visconti)は、かつては大手芸能事務所の役員だったが、今は独立して、自らの事務所を立ち上げている。
「フォースタスの新作」
 アスターティは、一冊の本を開いた。タブレット端末で読む電子書籍が当たり前のものになっているこの時代においては、紙の書籍は一種の贅沢品だと見なす者も少なくない。
 フォースタス・チャオ(Faustus Shota Chao)、24歳。新進気鋭の作家。父は中国系とアイルランド系の血を引き、母は日本人の血を引く。フォースタスの母ミサト・カグラザカ・チャオ(Dr.Misato Kagurazaka "Misa" Chao)は理学博士であり、アガルタの研究者である。
 人造人間「バール」は、基本的に生殖能力がない。性行為自体は可能でも、新たな生命は生み出せない。
 しかし、彼女は違う。
 去年、アスターティは初潮を迎えた。そして、アガルタで身体検査を受けて、妊娠能力がある事が確認された。そして、それこそが彼女の存在意義だった。
「そうだ、家で読んだ方がいい」
 彼女は本をバッグにしまい、立ち上がった。

「何とか余計な干渉はなかったようだな」
「うむ。フォースタスとの結婚が実現するまでは、邪魔が入ってはいけない。しかし、当のフォースタスには困ったもんだ」
「フォースタス君が?」
「ああ。アスターティがまだ中学生なのをいい事に、他の女と付き合っておる。以前の彼女とは大学時代に別れたようだが、今はどうしているやら」
「しかし、当人の母親のカグラザカ博士は何も言わないんだろうかね?」
「博士も心配しているでしょ、さすがに」
「引き続き、アスターティの監視と警護だ。もちろん、フォースタスもな」
「フォースタス君、まさかあの娘の事を忘れてるんじゃないよね?」

 セントラルパークでは華麗に桜吹雪が舞い上がる。

 ミサト・カグラザカ・チャオ博士は、アガルタの自室でタブレット端末を見ている。ニュースサイトに気になる記事があるのだ。
 また、バールをターゲットにした「殺人事件」が起こったのだ。被害者は、連邦政府の管理下にある研究機関であるアガルタで生まれたバールではない。
「民間企業製のバールか…」
 被害者は、薄紫色の髪に薔薇色の目の女性型バール。彼女は、バールばかりを集めた売春組織に所属している娼婦だった。
「人造人間と言えども、自分たち人間と大差ないのに…」
 ミサトは眉をひそめた。しかし、バールたちに対して生理的な嫌悪感を抱く人間は少なからずいる。
 同性婚が合法化されている今のアヴァロン連邦でさえ、「伝統的な価値観の復権」という名目で同性婚の廃止を訴える政治団体や宗教団体があるのだ。
 そして、そいつらはバールたちの排斥をも求めている。
 かつての宇宙移民船アヴァロン号は、中立公正な価値観の移民希望者たちを優先した。しかし、それでも狭量な人間たちは次々と生まれるのだ。
 ミサトはため息をつく。
「大昔の地球の学者の研究結果。働き蟻に何割かいる『怠け蟻』を除いたら、残りの働き蟻の何割かが新たな『怠け蟻』に変わる。多分、人間社会も同じね」
 美しい蝶に嫉妬する蟻は、いくらでもいるのだ。